体の健康は、人生の中で最も大事なことの一つだと思います。

しかし、健康のとき、多くの場合には、健康の有難さを感じないかもしれません。が、いったん健康を失って病気にかかっているとき、健康の大事さを初めて感じ、そして、自分の健康を取り戻すために必死に頑張るようになります。

健康な人にとって、健康であることと、病気にかからないことは、まるで普通のように感じるかもしれませんが、健康が失った人にとって、健康はなにより重要で、一番のこと感じるでしょう。

健康を東洋医学の理論から表すと、病気にかからない状態の意味だけではなく、その上に、内臓、脳、神経、リンパ、筋肉、骨などの体のすべての部分の働きが、よい状態に保たれ、意識が前向きにし、感情も穏やかに保たれていることです。

つまり、ある人が、病名のある病気にかからないにしても、もし、体のある部分の働きが不十分であれば、これは健康とは言えません。

更に、意識が前向きではないこと、或いは感情が穏やかでなければ、これも健康とは言えません。

体の働きが不十分という基本の意味は、その部分(臓器など)の働きは60パーセントに過ぎないこと、或いは、その部分の血液と気の流れが滞っていることです。

いったん体がこのような不十分になると、体の健康を守ったり、病気を癒したりなどの機能が果たせなくなります。当然、病気にかかりやすくなります。

普通、病気にかかる前、誰でも、まず、体のその場所の働きが不十分となること、その次には、病気にかかることという順番です。

例えば、腎臓病の場合には、まず、長い間にいろいろな理由で、腎臓の中と腎臓の周辺に、血液と気の流れがスムーズに出来なくなって滞るようになります。そうすると、腎臓の働き機能が自然に低下し、腎臓に老廃物が溜まりやすくなります。

このような状態を改善しないと、その次、腎臓の病にかかるようになります。

要するに、誰でも、常に、体の各々の部分の働く機能を十分出来るように保てれば、病気にかかる可能性がなくなります。

体の血液と気は、万病を治し、健康を保つための最も根本的な薬のようなものです。

というのは、血液の中の細胞は、体の臓器や筋骨など、いわゆる部分の修復と修理をするための機能が持っているからです。また、体の気は、体の血液を体のとこでも運べる役割が持っているからです。

つまり、体の血液と気の流れが滞ることがなければ、体の病気にかからない機能が活発するようになります。

この理由で、世の中の沢山の人々は、体のそれらの機能を活発させるために、歩き、散歩、走り、体操、ヨーガ、気功、瞑想、座禅などを常に行っています。